PR

阿吽(あうん)の狛犬とは?なぜ彼らは門番になったのか

阿吽の狛犬について意味や違いを調べる前に神社で立ち止まって考えている様子 たまさん日記
※画像は参考イメージです。

※この記事はプロモーションを含みます。

神社の入り口で、私たちはいつも彼らに迎えられます。筋骨逞しい体躯に、鋭い眼光。あるいは、どこかユーモラスで愛嬌のある表情。

当たり前のように「狛犬(こまいぬ)」と呼び親しんでいる彼らですが、その足元に隠された数千年の旅路の痕跡に、思いを馳せたことはあるでしょうか。

実は、狛犬は日本固有の文化ではありません。シルクロードを越え、時代ごとに姿を変えながら、私たちの祈りの場へと辿り着いた「旅する守護獣」なのです。

ゆうおじさんと共に、その知られざる真実を紐解いていきましょう。

阿吽(あうん)の狛犬とは何か|意味と成り立ちを整理

阿吽(あうん)の狛犬とは何か
※画像は参考イメージです。

神社でよく目にする狛犬は、「阿吽(あうん)」という形で一対になっていることが多いものの、その意味や由来を正確に理解している人は多くありません。

「なぜ狛犬は阿吽なのか」「いつからこの形が定着したのか」といった疑問に対し、ネット上ではさまざまな説明が見られますが、公式情報とそうでない情報が混在しているのが実情です。

ここでは、文化庁や神社本庁などの一次情報で確認できる内容をもとに、阿吽(あうん)の狛犬がどのような思想背景で生まれ、どのような意味を持つ存在として位置づけられているのかを、事実ベースで整理していきます。


狛犬が「阿吽」で表現される理由とは

現代の狛犬の多くが「阿吽」の姿をしているのは、万物の始まりと終わり、そして森羅万象すべてを象徴するためです。口を開けた像は「阿(あ)」、閉じた像は「吽(うん)」と呼ばれ、この対比によって宇宙の完全な調和と完成が表現されています。

また、二人の息がぴったり合うことを意味する「阿吽の呼吸」という言葉も、この狛犬の姿が由来となっています。


阿吽はどこから来た考え方なのか

狛犬の遥かなるルーツは、日本から遠く離れた古代エジプトやインドにあります。当時、百獣の王であるライオン(獅子)は、その圧倒的な力から守護神や王権の象徴として崇められていました。

この「門を守る獅子」という概念が、シルクロードを経て唐時代の中国へ、そして朝鮮半島を経由して日本へと伝わったのです。

「狛犬(こまいぬ)」という名称は、高麗(こまえ/高句麗、あるいは朝鮮半島の諸国)から伝わった「高麗犬」が転じたものという説が有力です。

「起源はエジプトやインドと言われています。一説には、シルクロードを通り、中国から朝鮮半島の高麗を経て日本に伝わったため、『高麗犬(こまいぬ)』と呼ばれるようになったと言われます。」 (出典:神社本庁公式サイト「狛犬について」

興味深いのは、奈良時代までは大陸の様式をそのまま受け継ぎ、左右ともに「獅子」の姿をしていたことです。それが平安時代、日本独自の文化として劇的な進化を遂げることになります。


口を開けた狛犬と閉じた狛犬の違い

口を開けた狛犬と閉じた狛犬の違い
※画像は参考イメージです。

口の形はそれぞれ異なる役割や意味を持っています。

阿形(あぎょう): 口を大きく開けて「ア」という音を発しており、積極性や「動」、そして万物の始まりを象徴します。

吽形(うんぎょう): 口を固く閉じて「ウム」という音を発しており、静寂や「受容」、そして物事の終わりや完成を象徴します。


狛犬と獅子は何が違うのか?かつては「角」があった?

元来、この二体は**「獅子」と「狛犬」という別の生き物の組み合わせ**でした。

獅子(しし): 向かって右側に置かれ、口を開けた阿形をしています。頭には角がありません。

狛犬(こまいぬ): 向かって左側に置かれ、口を閉じた吽形をしています。古式では頭に一本の角があるのが特徴です。

現在では両方をまとめて「狛犬」と呼ぶのが一般的ですが、よく観察すると片方だけに角の名残がある像を見つけることができます。


阿吽でない狛犬が存在する神社の理由

すべての狛犬が「阿吽」の対になっているわけではありません。奈良時代までは二体とも口を開けた「二頭の獅子」の形が一般的であり、東大寺南大門の石造獅子のように、現在でも**両方が口を開けている例(阿阿)**が残っています。

一方で、両方が口を閉じている例外も存在します。これらは阿吽の形式が定着する以前の古い様式を伝えているものや、特定の図像的な意図に基づいて制作されたものと考えられています。


犬だけじゃない?多種多様な「神の使い」

犬だけじゃない?多種多様な「神の使い」
※画像は参考イメージです。

神社を守っているのは、必ずしも獅子や犬だけではありません。特定の神様と縁の深い動物たちは「神使(しんし)」と呼ばれ、狛犬の代わりに聖域を守護しています。

• 稲荷神社: 五穀豊穣の象徴である「狐」

• 天満宮: 菅原道真公と縁の深い「牛」

江戸時代以降、民間信仰が多様化すると、そのバリエーションはさらに広がりました。毘沙門天ゆかりの「虎」、摩利支天の「猪」、さらには龍や狼まで。

彼らは単なる門番ではなく、神の意思を人々に伝える「メッセンジャー」としての重責を担っているのです。

阿吽の狛犬は信仰上どんな意味を持つのか

信仰上の主な役割は、神域を邪悪なものから守る「始まりから終わりまでを見守る象徴」「結界の番人」心の準備を整えるという精神的な意味も持っています。

信仰上の意味は象徴的な守護と理解するのが、一次情報に沿った判断です。

阿吽の狛犬の左右・位置関係を正しく理解する

阿吽の狛犬の左右・位置関係を正しく理解する
※画像は参考イメージです。

阿吽(あうん)の狛犬について調べていると、「左右はどっちが正しいのか」「阿形と吽形はどちらに置かれるのか」「左右が逆に見える狛犬は間違いなのか」といった疑問に行き着く人は少なくありません。

実際、神社によって配置が異なるケースもあり、混乱しやすいポイントでもあります。ここでは、神社本庁などの公式説明で確認できる一般的な配置例を押さえつつ、なぜ違いが生まれるのか、どこまでが慣習でどこからが例外なのかを整理します。

左右や位置を「正誤」で判断するのではなく、背景を理解する視点で見ていきます。

阿吽の狛犬は左右どちらに配置されるのか意味

伝統的な神社建築における配置には明確な意味が込められています。陰陽道の考えに基づき、**「右側は陽、左側は陰」**を表すとされており、積極的な始まりを意味する阿形が右側に配置されます。

これは神社の聖域における上位・下位の秩序とも一致しており、参拝者から見て右側が上位とされるため、始まりを象徴する阿形がそこに置かれます。

「阿(あ)」と「吽(うん)」に込められた宇宙の始まりと終わり

狛犬の最大の特徴である「阿吽(あうん)」の表情。これは日本独自の展開であり、仏教寺院の門番である仁王像(金剛力士像)と同じルーツを持っています。

サンスクリット語の最初の音である「阿」と、最後の音である「吽」。この一対は、宇宙の始まりと終わり、あるいは万物の生成と消滅を象徴しています。

「阿形はすべての始まりを、吽形はすべての終わりを象徴的に表している。……この阿吽の象徴性は、仏教の仁王像(金剛力士像)と同じルーツである。」 (出典:JAANUS “A un” 項より要約

通常、向かって右が「阿」、左が「吽」ですが、これには「天子南面(てんしなんめん)」という、北を上位とする東洋の空間概念が影響しています。

ただし、例外も存在します。例えば長野県の深志神社では、阿吽の左右が逆転しています。これは社殿が西を向いているため、お城や城下町がある「北側」を上位(阿形)に据えようとした、地域固有の歴史的背景によるものと考えられています。


阿形と吽形はどっちがどっちか?

阿形と吽形はどっちがどっちか?
※画像は参考イメージです。

基本的には、**拝殿に向かって右側が「阿形」、左側が「吽形」**です。

右側: 口を開けた「阿形」(元来の「獅子」)

左側: 口を閉じた「吽形」(元来の「狛犬」)

平安時代に入ると、それまで一対の「獅子」だった守護獣は、明確に区別されるようになりました。向かって右側が、口を開けた「獅子」。そして左側が、口を閉じ、頭に一本の角(つの)を持つ「狛犬」です。

しかし、なぜ現在の狛犬には角がないものが多いのでしょうか。そこには日本人の美意識が深く関わっています。

歴史が進むにつれ、造形は「和様化」という変遷を辿ります。農耕民族である日本人の穏やかな精神構造が投影され、大陸由来の野獣としての荒々しさが抑えられていったのです。

その過程で、獅子と狛犬は徐々に形が似通っていき、象徴であった角も省略されるようになりました。


神社における狛犬の基本的な位置関係

狛犬は通常、鳥居のすぐ内側の参道や、神様がお祀りされている拝殿の正面左右に一対で置かれます。

これらは神座を守るために配置されており、参拝者が通る道筋(参道)を見守る「道案内」の役割も果たしています。

平安時代などの古い形態では、社殿の内部に木製の像が置かれる「陣内狛犬」という形も一般的でした。


かつての職場は「室内」だった

神社の参道に石造りの狛犬が並ぶ風景。実はこれ、歴史の中では比較的新しい光景です。平安時代、彼らの主な職場は「屋内」にありました。

当時の狛犬は木製や金属製で、宮中や貴族の邸宅における調度品として使われていました。特に、御簾(みす)や几帳(きちょう)の裾を固定するための「重石(おもし)」、すなわち「鎮子(ちんし)」としての役割を担っていたのです。

室内という空間の一貫性を保つため、建物や神像と同じ木造が主流でした。彼らが屋外へと進出するのは14世紀頃のこと。

雨風にさらされる環境に耐えるため、素材は耐久性の高い石へと代わりました。江戸時代に入り、氏子たちによる奉納が盛んになると、「参道狛犬」として私たちの身近な存在になったのです。


左右が逆に見える狛犬は間違いなのか

狛犬の左右や位置関係について確認しようとしている参拝前の様子
※画像は参考イメージです。

稀に阿吽の配置が左右逆(左が阿形、右が吽形)になっている神社がありますが、これは必ずしも**「間違い」とは言えません**。

例えば松本市の深志神社のように、社殿の向き(西向き)や地域の特性、あるいは「北が上位」というその土地特有の感覚を優先して意図的に逆に配置されたケースが存在します。

これらは石工のミスではなく、その神社の由緒や地形的な理由に基づいた特別な形であると解釈されます。


配置や形に違いが出る理由とは

狛犬の配置や形に多様性があるのは、時代背景や職人の技術、地域信仰の違いが反映されているからです。

江戸時代の狛犬は穏やかな表情のものが多いのに対し、明治以降はより力強く精悍な姿になるなど、その時々の人々の願いが形に現れています。

また、沖縄の「シーサー」のように地域独自の文化と融合したものや、稲荷神社の狐のように、祭神と縁の深い特定の動物が狛犬の代わりを務めている場合もあります。


まとめ|阿吽(あうん)の狛犬をどう理解すべきか

阿吽の狛犬は、単なる石像ではなく、宇宙の始まりから終わりまでの調和と、聖域を守る強い意志を象徴する存在です。古くは「角の有無」で獅子と狛犬を見分けていた歴史があり、その左右の配置には神聖な秩序が保たれています。

神社を訪れた際は、その表情や配置の細かな違いに注目することで、長い歴史の中で育まれてきた日本独自の信仰心と伝統を感じ取ることができるでしょう。

次に神社を訪れたとき、彼らの足元や頭頂部をそっと観察してみてください。もしかしたら、かつてそこにあった「角」の跡や、石工が込めた遊び心が見つかるかもしれません。

その時、目の前の狛犬は、ただの石像ではなく、悠久の時を越えてあなたに語りかける歴史の語り部として、新しい表情を見せてくれるはずです。

《関連記事》